データベースは変更可能である。

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データベースは変更可能である。


 ゼロ年代の批評においてなぜ東浩紀がひとり勝ちしているのか。佐々木敦によれば、その解は次のようなものである。

 いうなれば東浩紀は、「世界」と「社会」の「現状」を、その絶えざる「相対化=ポストモダン化」も込みに、とりあえず「受け入れる」ことによって、「ニッポンの思想」が、三十年にも及んで、ぎったんばっこんと上がり下がりを繰り返してきた「シーソー」から、ひとり降りてみせたのだと思います。そして彼は何を始めたのか。それは一言でいうならば、「ゲームボード」の設定、より精確には「再設定」だったのだと思います。(佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書、2009年、331頁)

 「動物化」は止まらない。データベースとの関係で対象を選択的・分析的に消費していく「ヲタク的な消費」に、人間は抗えないのである。認識の問題ではなく事実の問題である、というのであろう。

 「ヲタク」はやめられない。実存の問題だからだ。しかし、わたしたちはいつでも消費を止め、降りることが出来る。どこへ。システムの外部へ。そのとき、わたしたちは超然と(データベースとしての)事実をなかったことにできる。あるいは、偽史が編まれるということもありうる。そもそも、テキストの誤配可能性は誤記可能性を内包している。

 過去のエントリは綺麗さっぱりと削除され、刷新されることになったこのブログは、データの蓄蔵を放棄し、シンプルさを取り戻すことにしたい。

 といった雑記を書いては誤配され、誤読される日々に舞い戻りたい。リハビリテーション。


シンプル・ラブ / 大橋純子&美乃家セントラル・ステイション