artの最近のブログ記事

巨匠 デ・キリコ展―力学のない世界をどう生きるか

| | Comments(0) | Trackbacks(0)
巨匠 デ・キリコ展―力学のない世界をどう生きるか

終了間近に駆け込んできました。綺麗にまとまっていませんが、感想を。

http://www.matsuzakaya.co.jp/museum/dechirico/

オススメサイト。わかりやすい文章を心がけるという自戒を込めて。

絵を見て感じたのは、「気持ち悪さ」だった。特に、前期(といっていいかわからないが、いわゆるメタフィジカの頃)。おそらくは、同属嫌悪だと思われる。形而上に関心が向かう理由は区別するならおそらく二つあるはずで、一つは超越的な視点を求めるという場合、もう一つは「現世」に不満足である場合、といえる。

デュシャン展に行ってきました。横浜美術館はとても奇麗でした。

懲りずに御託を並べてみます。

行く前に考えていたこと(事後的な補完あり)。

展示趣旨は「美術とは何か」を考えることにあるという。デュシャンの美術を一握りの専門家の手から解放する試みを契機にということであろう。

通常、こういったパラダイムシフト*1は、既成の価値の転換、新たな価値の確立、それを引き起こす破壊力などに力点が置かれるだろう。ここには一種の進歩史観、もしくはそこまで言わなくとも価値の多様性に対する根源的な肯定の姿勢がある。即ち、前者の進歩主義に立った場合、既成の概念は新たな枠組みによって取って代わられるが、後者のような文化多元主義的な立場であれば、個々の文化の優劣が論じられるとしても、むしろ取って代わられないことが重要となってくる。

現代美術館ピカソ展に行ってきました。

初心者が何を言ってもどうせ外すので、間違い覚悟で思うところを書いてみます。

「記号化」、それはプリミティブなものへの憧憬(もしくは関心)という説明があった。この手法が際立つのは、人間の<変容(metamorphize)>が人間以外の物質をありのままに描いた上に重ねて・溶け込んだように表現される、といった画風にあると思われる。つまり、そこには、変容する人間/しない人工物・静物とのディコトミーがある。そして同時に、その対比を強調するために、他の自然物はほとんどといっていいぐらい登場しない(ミノタウロスなどを取上げた作品も結局は人間の欲望を化体してるにすぎない)。

しかし、このような人間観―つまり人間こそが変容しうる唯一の存在なのだという主張―が、彼の作品の根底にあるとすれば、それは近代的なパースペクティブを脱することができていないということになる。(特に彼の文脈においては性(行為)に関して)プリミティブな人間の復権を描いていると標榜するならば、人間を取り巻く自然環境の<変容>は看過しえないのではないのか。

そしてまた、同時にこの記号化は、人間をことさら性に関わるいくつかの構成要素(乳房、陰部など)に還元することによって、その本質を単純化しようといった意味でもプリミティブな手法であったと考えられる。

About Me

  • profile



    bei_jing
  • 人生はチルアウト。

  • weblog 2.0 -> hatena
  • e-mail, MSN messenger
    -> acid_jazz77@hotmail.com

  • Movable Typeのバージョンをあげました。 フィード周りが変わっているかもしれません。

Feed

Last.fm

Recommend


Twitter Updates



Recent Comments

Powered by Movable Type 4.1
Powered by MT-MyAmazonList
Anytime Trackback Free