『ザ・コーポレーション』

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今池の名古屋シネマテークで見てきました。とても雰囲気のいい映画館だった!

『ザ・コーポレーション』(2004)

監督 マーク・アクバー、ジェニファー・アボット
原作 ジョエル・ベイカン
編集 ジェニファー・アボット
出演 マイケル・ムーア、ノーム・チョムスキー、ナオミ・クライン、ピーター・ドラッカー 他

企業の「背徳」的行為を、その法人性に着目した上で、人格障害(サイコパス)と診断し、企業自体あるいはそれを下から支える資本主義が抱える「病理」なるものを描こうとした作品。

企業にまつわる諸現象を網羅的に扱う問題提起的な作品であるだけに、突っ込みどころが多い。取り上げられているのは、たとえば、南北間格差、世代間倫理、企業倫理、公害・環境問題(外部不経済)など。

個々の問題をどう整合的に処理するかといった各論的な解決や、その前提となる設計思想が主張としてはっきりあるようにも思えず、結果として、所与の社会的事実としての「企業」を盲目的に批判する、運動論的なものになってしまっている。

したがって、どちらかというと分析的な視点で見るべきであって、後半になるにつれて表面化してくる「統一性を欠いた」イデオロギッシュな側面は鵜呑みにすべきではないと思う。

「持続可能な発展」というキーワードで締めくくるのも安易なように思う。核心は"持続可能性(Sustainability)とは何か"という、中身の解釈問題に移行しているはずである。企業の環境倫理という現時点で実行可能(feasible)な(その意味で重要な)方策にはあまり触れずに、「民主主義」あるいは「人民主権」一辺倒ですべてが丸くおさまるといったような主張もどうかと思う。

ボリビアのように誰もが「人民蜂起」による「民主主義」的な革命の実現を待望している発展途上国と、アメリカや日本などその領土内にグローバルな環境を抱えている先進国、要するに南と北では、求められている状況が違うはずで、特に後者の場合、その通約不可能性(分かりあえなさ)が困難さを抱えていることに注目すべきである。「革命」についての共通理解がない国々で、民主主義だけを高らかに掲げることがどれだけ危険かということは、傍に置かれてしまっている。たとえば、ナチスに対する企業の支援が批判されていたが、そのナチスは人民の支持を得て与党まで登りつめたのであって、要するに「民主主義の失敗」の典型例なのである。

企業の「法人」性については、法によって付与されているのだから、自然人がア・プリオリに持つ人格よりも、その「範囲」が縮減されているのは当然で、道徳心を欠いた存在であることがおかしい・よくない、ということには全くならない。だからこそ、企業としての倫理、あるいは法が必要になるのである。

もちろん、こうした運動から、資本主義に対するオルタナティヴが出てこないとは限らないわけで、その代替案が示す方向性がより望ましいなら、徒らに資本主義(あるいは「企業支配」と呼ぶならそれ)にこだわる必要もないことは確かではあるが。

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