インターネットにおける規範形成のための足がかりはどのようにして見つけたらよいか、知的財産法・情報法の専門家が考えた本。
法哲学者ほど「わけのわからない」(それゆえに面白いというのはあるんですけど)一般理論に遡ることもなく、比較的わかりやすい形で根源的な問いに迫っている点は、要領を得た文章だといえる。
ただ、著者の見解だとの記述があるにしても、全体的な印象としては、通説的なネットワーク論に対する有力な反論の紹介にとどまっているように見える。見えるというか大部分はとどまっているし、古参のネットワーカーにしてみれば「通説」に近いともいえるのである。
独特なのは、インターネットと中世世界の関係について書いた部分だろう。インターネットは現状として、近代的な現実世界(法学者は近代的な主体を設定するから、近代と現代との断絶はあまり考えないことにする傾向があるからだと思う)と前近代的な中世世界のどちらに向かいつつあって、そのような理解を踏まえてではどちらに向かう"べき"だろうか、という問題である。
おおざっぱに言って、インターネットの「原初状態」を評価しつつも、クリエイティブ・コモンズなどとは違う方向で、具体的に言えば、匿名性を取っ払う方向で責任主体性を確保していったらどうだろうかというのが著者の主張するところだが、前提となる現状認識にやや違和感を覚えた。
匿名性の重視がインターネットにおける法的の前提となるような慣習の成立を妨げているというのは、一面ではそうだろうが、2ちゃんねるからソーシャル・ネットワーキングへといった流れで事を済ますのは短絡的過ぎる。
2ちゃんねるで飛び交う罵詈雑言は、筆者もいうように一種の典礼なので、それにともなって責任を回避するような態度が(あくまでも2ちゃんねるの内部で)蔓延するのは基本的には問題がない。戯れてるだけだからである。殺人予告などはあくまでも例外だということは忘れてはいけない。
他方で、これもまた筆者がスラッシュドットなどを挙げているように、ハンドルネームでも交通整理された議論が展開できる場はインターネット上にいくらでもある。もはや死滅しているかのような「ネチケット」も一部のサイト群(たとえば二次創作、同人関係)では比較的真っ当な形で生きている。
重要なのは、このように様々な慣習の棲み分けが出来ていることであって、バーチャル世界を何らかの望ましい(と誰かが考える)一つの慣習へと収斂させていくことではない。
各自が倫理的になることはもちろん必要だろう。ネタで契約しましたとか言われても困る。しかし、それは契約だから困るのであって、無礼講の空間があったっていいじゃないか。
人格・倫理・慣習なんて使い分ければいいじゃないかという立場にたてば、ネットワーク内在的に責任主体を定位する必要があるのかも結構怪しい。










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